企画展

令和4年度冬期企画展 拓くひとびとー狭山の奈良・平安ー

狭山市には旧石器時代から人が住み、縄文時代には多くのムラがありました。
しかしその後、人の気配は薄くなり次に集落が作られるようになるのは、8世紀から10世紀、
奈良時代から平安時代のことです。入間川沿いの段丘上には、今宿遺跡や揚櫨木遺跡など多くの遺跡がありますが、近年発掘調査が行われた鳥ノ上遺跡からは、住居跡177軒・掘立柱建物93棟(8世紀から9世紀)という大規模な集落がみつかりました。
 奈良時代になって突然作られるようになったこれらの集落にはどのような人が住んでいたのでしょうか。古代の武蔵国に所属するこの地の重要なトピックスに、高麗郡建郡(716年)、国分寺建立の詔(741年)、新羅郡建郡(758年)があります。7世紀末の高句麗・百済の滅亡による渡来人たちがこの地に配されたこと、国分寺建立という一大プロジェクトなどの政治的な影響により、この狭山の地に多様な技能を持つ人々が新たに移住したのかもしれません。
 新しい土地で人々はどのように暮らしていたのでしょうか。文字の書かれた土器、糸をつむぐための紡錘車、馬具などが出土した鳥ノ上遺跡の様子からは、文字を知り、糸をつむぎ、馬に関わっていた人々が暮らしていたことがわかってきました。
 最新の発掘調査の成果を中心に、狭山の地を拓いた古代の人々の暮らしを紹介します。
※2018~2020年にかけて発掘調査が行われました。

令和4年度冬期企画展 拓くひとびとー狭山の奈良・平安ーチラシ