学芸員ブログ

令和5年度歴史文化講座開催!

 令和5年度歴史文化講座が7月9日(日)に開催されました。

 今回は埼玉県立川越農業高等学校(現在の埼玉県立川越総合高等学校)ご出身で、元衆議院議員であり、元狭山市市長の大野松茂氏をお迎えし、「養蚕・製糸から見る狭山の歩み 暢業社・石川組・郡製糸を通して」と題しご講演いただきました。

 狭山市は古くから養蚕業が盛んな地域として知られており、狭山の農家のほとんどが昔は蚕を飼っていたそうです。そこに明治9年(1876年)に狭山市屈指の実業家、清水宗徳により、埼玉県最初の器械製糸工場である広瀬製糸場(後の暢業社)が設立しました。また、宗徳は入間、高麗郡を中心に製糸組合をつくるなど、地域の養蚕業発展にも尽力されました。

 その後、石川幾太郎によって「石川組製糸」が創設され、日本屈指の製糸会社となり、全国製糸家番付で、6位の生糸生産量を誇ったほどだったようです。幾太郎の四女いしと結婚した石川求助は狭山市初代の市長でした。ここにも狭山と養蚕の関わりが見出せるかと思います。

 狭山にはほかにも郡製糸と呼ばれた養蚕農家が作った組合製糸があったそうです。郡製糸については狭山市史の中に一箇所記載があるだけで、ほとんど資料が残っていないとお話がありました。しかしながら、工場が三棟、乾繭所や寄宿舎があり、その他田畑等もあったことに鑑みると、狭山の養蚕を支える組合製糸でした。こうして狭山では、清水宗徳、石川組、そして郡製糸によって養蚕業が盛り立てられていました。

 埼玉県立川越総合高等学校には創立100年と記念し、「養蚕資料室」が開設されました。大野先生も開設にご尽力された方のうちの一人です。2021年に放送されたNHK大河ドラマ「青天を衝け」では養蚕資料室所蔵の竹製の蚕箔が貸し出され、日本の養蚕業を知る上でも貴重な資料が残されていることがうかがえます。

 しかし養蚕の記憶は薄れつつあり、大野先生は「狭山にも養蚕をきっかけとして様々な歴史があったこと、狭山のために貢献されたことを感謝していただけたら」とお話しし、本講座が終了となりました。

 本講座を受講された方の中にもご実家で養蚕をされていたと話される方もおられました。受講された皆様の記憶が回顧され、また、次世代に語り継ぐべき狭山の歴史をして再確認していただけた講座となりました。